2007年5月30日水曜日

カウントダウン

早いもので残す所あと1日となった。いまだ辞める実感は湧かないが。
今月はたくさんの友人、知人、恩師達が訪れてくれ、先日は店を挙げての送別会までして頂き、本当に有り難い限りである。太っている以外、自慢がないと思っていた私であるが、たくさんの素敵な人達との繋がりが、私のもう一つの自慢であり、唯一無二の財産である事を今更ながら思い知った。
あと1日である。

2007年5月27日日曜日

ナガイ君


今春に入社したてのナガイ君。しっかり者だが、仕事はまだまだ覚える事が一杯である。
彼は洗い場がメインの仕事であったが、慣れてきたようなので、簡単な前菜やサラダ、デザートを作ったり、オーダーをまとめて厨房内に伝える場所に移動させた。
このポジションの仕事は、慣れるまではオーダーをまとめるのが一苦労なのだ。忙しい時は、この場所の人がしっかりしていなければ厨房が機能しなくなる。かくいう私も、当初はかなり泣かされた。ホールからも、厨房からもまくし立てられて、大至急家に帰りたい気持ちであった。
ナガイ君も勿論ちんぷんかんぷんである。出来ない危機感を自分でも感じているらしく、その魔のポジションにて、「社長に怒られる夢を見た」と、危機感を募らせていた。
私がいつか来た際には、スマートにオーダーをさばいているナガイ君を見たいものである。

2007年5月24日木曜日

におい

「・・におう・・」
何だか厨房に居ると、時折線香のにおいがする。スピリチュアルに傾倒していたので、「もしや何かの悪い知らせかも・・」と、いつの間にか研ぎ澄まされた自分の能力に恐れ慄いていた。
するとナカイも、「何かくさくねえか」と言い出したので、「これはおかしい」という事になった。皆で「どこだ?」「どれだ?」とやっていると、どうやらヤスが近くに居ると臭う事に気付いた。
「あんた臭いよ」とヤスに言ってやると、「えーーー!」と言いながら、自分の色んな所の臭いをかぎ、「あ!分かった!イタリアの洗濯洗剤だ!」とヤスは叫んだ。
原因が判明したので、「臭い服洗ってこい」という事で一件落着だった。しかしまた次の日になると臭った。
「まだくせえ!」と私が大声を出すと、ヤスは「全部洗ったし、着替えた」と言うが完全に臭っている。するとまた「あ!これか!」と、ヤスは自分の靴下の臭いを嗅ぎ出した。「これです!これ!ノムラさん!」と、私に靴下の臭いを嗅げと勧めてくるので、何だか流れでヤスの靴下の臭いを嗅ぐ羽目になってしまった。屈辱である。
それでも次の日、まだ臭いという事になり、ヤスも半ギレで「もう全部変えましたよ、もう無いです」と言っていたのだが、またしても「あ!」と叫び、今度は「パンツだ・・」と言い出した。
「あたしパンツの臭いは嗅ぎたくないよ」と、今回は辞退するとヤスは、「大丈夫です、ナカイさーーん」と、ナカイを呼びつけて嗅がせていた。
私達はこんなに臭いと騒いでいるのに、当の本人は臭くないのだろうか。イタリアで鼻が曲がったらしい。

2007年5月23日水曜日

帰国


ついにヤスが帰ってきた。
何故だか日焼けしており、ますますアルカイダ風になっている。
私が詳しく聞きたいのは、世界の坂本の事のみであり、「んで?!」「それで?!」と、根掘り葉掘り聞いてやった。羨ましい事にサインまで貰っていた。私の方が間違いなくファンであるのに悔しい。

「今日からは毎日ヤスが賄い作ってよー」と、皆でイタリア帰りのヤスの味を楽しんでいる。私の大好きなカネーデルリを作ってくれ、美味しかった。
ヤスの居ない穴を埋めていたのは、私ではなく若い衆達である。ヤスが帰ってきたので、彼等は只今休暇中である。頑張った彼等に、しばしの休息を。

2007年5月15日火曜日

ヤマ


ヤマは私に怒られない日はない。
小さい事で2個~3個やらかし、どでかい事を一つやらかす。「あんた何回言ったと思ってんの!」と言うと、「・・4、5回くらい・・」と、バカ正直に答える始末である。その度に私は、血管が切れそうになる程怒り、ヤマのお陰で間違いなく寿命が縮まったと思う。
先日などは、ヤマがゴミを分別していない場面を目撃したので、「バカで環境汚染」というキャッチフレーズを付けてあげた。
散々言っている私であるので、たまに「今日はエキサイトし過ぎて、少々言い過ぎたな」と、思う日もあるのだが、それでもヤマは次の日には笑って、「おはようございます!」と言ってくれる。
バカでも可愛い、私の子供達である。

2007年5月8日火曜日

世界のヤス

ゴールデンウィーク勤務明け、2週間ぶりの休日に、私は昼まで寝て、その挙句に昼寝をしていた。
昼寝最中に電話が鳴っているのに気付いたが、「今無理~」と思い、無視してそのまま寝続けた。起きてから見てみると、それはイタリアに居るヤスからであり、「まあ、たいした用事じゃないだろう」と、連絡はせずにいた。
休み明けに出勤すると、ナカイが開口一番「昨日ヤスから電話来た?!」と言うので、「何かあったのか」と聞くと、「坂本龍一に会ったんだって!店に何回も来たんだって!」と言うではないか。「えええ?!あの世界の坂本?!」と言うと、ナカイが笑い出した。どうやら社長も全く同じ反応であったらしい。
話によると、世界の坂本は北イタリア、ロベレート近くでコンサートをしていたらしく、ヤスの働く店に何回か訪れたらしい。そして、変な日本人が居るので声を掛けてくれたのだろう。何と、世界の坂本の一声で、コンサートをただで見てきたらしい。「うちの名詞ちゃんと渡したか!」と言うと、珍しく気が利いて渡していた。
当店に、世界の坂本が来る日もそう遠くはないかもしれぬと、淡い期待を抱いている。

2007年5月6日日曜日

相馬焼き


先日、福島から旅行で札幌にいらっしゃった御夫婦が来店してくださった。
オンライン予約をしてくださったので、福島からいらっしゃる事、イタリア料理が大好きな事、好みのワインの事などなど、色々な事を書いてくださった。そして、何度かメールをやり取りをしている内に、何だか初めて会う気分ではなくなっており、来店されるのが待ち遠しくなっていた。
その日は何だか忙しく、私はご挨拶もそこそこになってしまったのだが、ナカイが張り切って話していた。聞けばナカイ家のルーツが福島であるらしく、喜んで話していたのだ。
しかも、その話のせいで、ナカイ家ゆかりの地である相馬の有名な「相馬焼き」が本日届いた。返ってお客様に気を使わせてしまい、申し訳なさこの上ない。
福島の星野様、有難うございます。ナカイが大事に使わせて頂きます。

2007年5月4日金曜日

カズヤ


カズヤは賄いを作るのに、店にある値の張る食材を次から次に使いたがる。
「これ使ってもいいですか・・」と聞いてくるのだが、私はたまにしか許可を出さないので、ついに最近は隠れて勝手に使い出した。
作ってる途中で私が見つけ、「あれ?!チビてめえこの野郎!またそんなもん使いやがって!」と言うと、ニヤニヤ笑っている。「それで不味かったら承知しないよ!」と言うと、自信満々に「大丈夫です」と、不敵な笑みを浮かべる。
高価な食材を使ってるだけあり、最近腕を上げた様に思う。これからが楽しみである。

2007年5月1日火曜日

新しい道

どうせ仕事をするのなら、好きな事を仕事にした方が良いと思い、食べる事が好きなので料理の道を志した。
色々な店でアルバイトをしたが、大きな店では既成のソースを使う事が多く、「ソース等も自分で作れる様になりたい」と思い、ピアッツァの門を叩いた。後に聞いた話であるが、他にも候補が居た中、社長が、本格的な経験の無い私を押してくれたという。そのお陰で今の私がある。
入った当初は、本格的なレストランで働ける嬉しさと緊張でいっぱいであった。「将来は自分の店を持ちたいの?」と、色々な人によく聞かれたが、「この店で、せめて2番手になれたらいいなあ」というのが、当時の私の最大の目標であった。
そして気付けば、年功序列の波に乗って料理長になってしまった。なんだかんだと今年で入社10年目を迎え、ここいらでそろそろ次の道を歩もうと考えた。社長に相談し、時期を決め、次期料理長になる為にヤスが修行に行く事になった。そういえば、最近ヤスから連絡が無いが元気でやっているだろうか。

ヤスが5月後半に帰って来るので、私は5月いっぱい勤めさせてもらう。そしてバトンタッチである。
まだ1ヶ月あるので、辞める実感は全くない。といあえず、怒涛のゴールデンウィークを乗り切らねば。

2007年4月28日土曜日

DSにはまる

私が一人でDSを2台も買っていた時、友人は彼氏にDSをプレゼントされたそうである。この世の話とは思えぬ程、羨ましい話である。
そんな訳で、意外と周りにDSを持っている人は多く、店の若い衆も全員口を揃えて「実家にある」と言うではないか。私は「仕事で使うからって言って、大至急実家から持ってこい」と指令を出した。
ヤマは遠軽の実家に電話し、「仕事で使うから」と、バカなので本当にそのまま母親に言ってしまうと、翌日DSは送られて来た。あまりの早さに驚き、「お前仕事遅いけど、母さん仕事早いな」と言うと、複雑な顔をしてた。
ナガイ君は、妹が持っているDSを、これまた「仕事で使う」とメールしたらしく、「いいけど・・」と、返信が来たと言っていた。
あっという間に全員がDSを揃え、日々マリオで対決している。「DSおもろいわー」と友人に言うと、「せめて松嶋菜々子みたいに可愛くやれよ」と注意されたが。

2007年4月25日水曜日

河童さん

カズヤがナカイの事を「河童」と呼んだらしく、「どういう教育してるんだ」と、ナカイが怒ってやって来た。
「駄目でしょカズ君、そんなにはっきり言ったら」と、カズヤを叱ると、今度は「違います!河童さん」と言い出した。さんをつければ良いというものでもないだろう。もう面倒なので、「ナカイの頭の皿乾いてるから水やれ」と言ってやったのだが、カズヤはしきりに「違います!違います!」と言っている。
よく聞けば、イタリア語でホタテを意味する「カペサンテ」を言いたかった様である。なるほどそれで「河童さん」かと納得した。

「ホタテのソテー、ふきのとうのソース」を、最近気に入って出している。ホタテの甘みと、ふきのうとうの苦みが相まって、私は大好きな味である。

2007年4月22日日曜日

DS


急にDSが欲しくなり買いに行った。
すると中古すら無かった。そうなると、益々欲しくなったので違う店にて不本意だが中古品を買った。
「大人の常識力トレーニング」と、「英語漬け」を買ってみたが1日で飽き、即行次の日に「ニュースーパーマリオブラザーズ」を買いに行った。すると、新品の本体が入荷していたので、こちらも一緒に購入した。
ファミコンで馴らした腕は、まだまだ衰えておらず、次々にクッパを退治し、「やっぱりマリオだな」と感じた。ファミコン時代は、一度も死なずに最後までやり遂げる事に命をかけていたものである。
1日しか使用していない、中古のDSはナカイに売りつけた。ハゲは意外にも「英語漬け」にはまっており、「She is beautiful!」と、喜んでやっている。

2007年4月19日木曜日

無知


東京ミッドタウンに、安藤忠雄氏による設計の「カノビアーノカフェ」がある。
若い衆にその話をしようと思い、「東京ミッドタウンあるしょ」と言うと、もう既にカズヤとヤマはポカン顔であった。かろうじてナガイ君は知っていた様であり、「そこに、安藤忠雄設計のカノビアーノがあるしょ」と言うと、今度は全員、安藤忠雄を知らなかった。
東京ミッドタウンも、安藤忠雄も、物凄いメジャーだと思うのだが違うのだろうか。若い衆に囲まれていると、自分が間違っている様な気になってくる。

2007年4月18日水曜日

アンラッキー

水曜日は、近くのクリーニング屋が20パーセントオフなので、大量に服を持って行くと、何故かパンツも出てきた。
慌てて引っ込めたが、店員さんには間違いなく見られてしまった。恥ずかしさこの上ない。
スピード違反で捕まったり、約束をすっぽかされたりと、最近は全くついておらず、仕舞いにはパンツである。
いつまで不運は続くのか。

2007年4月11日水曜日

しつけ

先日、友人の子供達をちょっとの時間だけ預かる事になった。
預かると言っても、子供達二人はもう小学生なので、御飯を作って食べさせるだけだったのだが、作るのが面倒臭いので焼肉を食べに行く事にした。自分が食べたいだけである。
「何でも好きなもん頼めー」と言うと、「肉は何処に取りに行くの?」と聞かれた。食べ放題の焼肉の事を言っていると思われ、「ここは頼まないと食べれないから、何でも好きなの頼めー」と言っても、非常に恐縮しながら頼んでいた。
肉を食べながら話をしていると、好きな食べ物の話になったので、「寿司のネタで好きなの何さ?」と、子供等に聞くと、回転寿司のメニューがずらりと出てきた。
いつも遊びに行っているので、週に1回は会っている子供達であるが、思えば何も買ってあげた事がない。なので、「たまに何か買ってやる」と、ポスフールに連れて行き、「今日だけは何でも好きなの選べ」と言うと、これまた恐縮して選ぶので、無理矢理DSのソフトを選ばせた。すると二人共、「お母さんに怒られる・・」とずっと言い続けるので、「大丈夫だって、あたしが言ってやっから」と言うと、「無理矢理買わされたって言うんでしょ・・」と、気の利いた事を言うので爆笑した。
一連の出来事を母である友人に報告すると、「あのガキ、恥かかせやがって・・」と友人は言っていた。軍隊式のしつけをしていると、この様になるようである。

2007年4月8日日曜日

忍耐

マンガ喫茶にて、真剣にマンガを読んでいると、壁一枚隔てた隣の席の男が電話で話し出した。
「マナー違反め」と思いながらも、すぐに話しは終わるだろうと、またマンガを読み続けた。
しかし、なかなか話は終わらず「長いなあ」と、だんだん気になってきた。それでも、「まさかここで長電話などするはずあるまい」と考え、またやり過ごしマンガを読んだ。
それでもまだ電話は終わらず、ついには話しが盛り上がってきて、声が大きくなってきた。いや、思えば最初から声は大きかった。多少なりとも小声で話していればやり過ごすものを、少しの申し訳なさも出さずにいる所が許せなくなってきた。ついでに話の内容も、どうでもいい、しょうもない話である。
頭に来たので一言言ってやろうと思ったのだが、まずは穏便にと、とりあえず壁をおもいっきり叩いてみる事にした。しかしまったく効果が無く、「やっぱり言ってやるしかない」と、腹を決めた。
そこでふと脳裏に、「万が一、隣の男が逃亡中の殺人犯であったら?」との疑問符が生まれ、「もれなく私も怨まれて殺される」と、即座に答えが出たのでやめた。
店員に言って注意してもらおうとも思ったが、それは何だか人の褌で相撲を取るみたいで嫌だと思ったのでそれもやめた。全く違うと思うが。
そしてもうこれは、神に与えられた試練だと思い、耐えに耐えた。よくよく考えたら自分も、どうでもいいマンガを読んでいるだけである。
マンガ喫茶にて、忍耐を得た私である。

2007年4月5日木曜日

HAPPY WEDDING!


また一人、私より先に行く人が出てしまった。東京に行ったコマツである。
昨年、彼女を札幌に残したまま東京に行ったので、自分だけが心配だわ寂しいだわで、居ても経ってもいられず、ついに東京まで呼びつけて結婚である。
ついでに嫁になってしまった彼女は、物凄い可愛い娘さんであり、コマツはえらいラッキーボーイである。あの顔で、この顔の嫁さんを捕まえたのであるから。結婚でかなりの運を使ってしまったので、この先、あまりラッキーな事は期待しない方が良いであろう。

おめでとう、コマツ&メグ。末永くお幸せに

2007年4月3日火曜日

エグヴィブ


いつもお世話になっている、忍路にあるパン屋さん「エグヴィブ」。フランスから新しい窯を入れたという事で、是非見せて頂きたいと思い、マリさんと一緒に行く事にした。
ビストロ・ヒロにて美味しいランチを取ってから忍路に向かったのだが、腹が一杯なので二人で物凄い睡魔に襲われてしまった。私が車を運転していたので、「寝たら死ぬよー」と、一人だけ寝ようとするマリさんを脅し、睡眠を阻止してやった。
何か話しをしないと本当に寝てしまいそうだったので、最近浮いた話の無いマリさんに、「もうレズって事にして生きていけばいいじゃん」と提案してあげた。ついでに、年齢を重ねる毎に綺麗になっているし、シワもシミも一つもないので、「妖怪だね」というと、それはもうカンカンになって怒っていた。私なりに誉めているつもりなのだが。
愉快な話をしたので眠気も覚め、あっという間にエグヴィブに到着である。
エグヴィブの丹野さんは、御自分で薪窯を作りパンを焼いていたのだが、さすがに7年経ち、色んな所が崩れ始めてきて、自分で作った窯では限界があると、フランスからの輸入を決めたらしい。以前の御自分で作られた窯も、とても一人で作ったとは思えぬ美しいドーム型の窯であった。頭脳明晰でなければ出来ない技である。
以前の窯は見せて頂いた事があったので、早速新しい窯を見せて頂いた。
見た瞬間に「うわあああ、凄い!」と感嘆の声を上げた。それは、新しいが重厚であり、SL機関車の様である。丹野さんは丁寧に説明して下さり、細部の色々な所まで見せてくれ、私のアホな質問にも嫌な顔一つせず答えてくれた。あまりに窯がカッコいいので、漠然とだが、「私も欲しいなあ~」と思ってしまった。
帰りの車では、先程のランチがまだ消化していないのに、エグヴィブで買ったパンを食べまくり、また眠くなってしまった。
今回は「寝たら死ぬよー」と言ってもマリさんは聞く耳を持たず、終点まで寝ていた。

2007年3月31日土曜日

ああ、野麦峠


明日から社員になるナガイ君。先日ご両親がお店に食事に来てくれた。
たくさんお菓子を頂き、尚且つ大きな苺までも頂いた。あっという間に食べ尽くし、「こんなにいっぱい貰って悪いねえ、素晴らしいご両親だね」と言うと、ナガイ君は恐縮していた。あんなに凄いお土産をくれるので、「お父さんの仕事なんだっけ」と聞くと、「製紙工場です」と言うので、苫小牧出身であるナガイ君であるし大納得であった。
カズヤに、「ナガイ君のお父さんは製紙工場で働いてるんだって」と言うと、分かってない顔をしたので、「製紙工場分かんないの?」と聞くと、またバカにされたと思ったらしく「分かりますよそのくらい、糸ですよね」と、案の定間違っていた。
ついでに私の「お前それは、ああ、野麦峠だろ」という、素晴らしい返しにも無反応であった。

2007年3月30日金曜日

選挙

選挙戦まっさかりである。
良い年をして投票にはあまり行かぬが、選挙カーを応援するのは好きである。窓にへばりつき、手を振る訳でもないのだが、見ているだけで、「窓からのご声援ありがとうございます!」と、拡声器で周辺一帯に響き渡るのが楽しいのだ。
子供の頃もそれに凝っており、小学校に入る前、選挙カーの声が聞こえると2階の窓まで行き、ただじっと見つめ、「窓からのご声援ありがとうございます!」と、言われては喜んでいた。そんな事をしていると、ある日選挙カーが家の前で停まった。すっ飛んで外まで行くと、外で近所の人に握手をしているではないか。慌てて私も握手をしてもらい、興奮しながら「青木まもると握手した!」と、婆さんに報告し、それからしばらく、青木まもると握手した事を自慢していた。当然ながら、友達には言ってもポカンとした顔をされたが。

今日も店の前を選挙カーが通ったので、窓を開け、「窓からのご声援ありがとうございますって言われるから見てれ!」と、張り切って若い衆に言っていると、あっさり素通りされてしまった。

2007年3月27日火曜日

地震

幼少時代、短い期間であるが日高にて過ごした。正直、楽しい思いでは皆無に等しい。
その中でも一番記憶にあるのが「浦河沖地震」である。
その日は日曜日であったにもかかわらず家には誰もおらず、小学生であった私は一人で「ラブアタック」を見ており、いつしか「かぐや姫」になる日を夢見ていた。そこに大地震はやってきた。テレビは消え、タンスは倒れ、冷蔵庫も開いた。外に出ると、家は傾き、道路はひび割れ、「ノストラダムスの大予言だ・・」と、恐くなった。
日高なのでちょいちょい地震はあったので慣れていたつもりであったが、さすがにあれ程の揺れは後にも先にも無い。

大きな地震がある度に、いつもこの事を思い出す。本当に、天災は忘れた頃にやってくるのだ。

2007年3月23日金曜日

マイブーム

スープカレーを食べに行くと、必ず「チキン」を頼む。
しかし先日、あまり腹が減ってないのに何故かスープカレーを食べに行ってしまったので、「失敗してもいいや」と思い、日頃から気になっていた「シーフードスープカレー」を頼んでみる事にした。
これが何と、期待していなかった分もあってか、非常に美味しくて久々にアドレナリンが出た。あまりに美味しく、店の賄いを食べずにそそくさとシーフードスープカレーを食べに行く始末である。
サポイにて、サライを読みながらシーフードスープカレーを食べるのが今一番の至福の時である。

2007年3月20日火曜日

無意味なボード


暖冬のせいにして今期は一度もボードに行っていなかった。
一回も行かなかったという事になっては寂しいし、調度雪も降った事なのでヤマを連れて行く事にした。
「あんた朝飯食べてないんでしょ」と、ヤマのせいにしてマックに寄る事にした。実の所は自分が食べたいだけである。私はハンバーガーを2個頼んだのだが、ヤマは1個しか頼まないので「ええ?!1個でいいの?」と言うと、「あ、はい大丈夫です」と当然の様な顔をされた。もしや遠慮しているのかと思い、「マックナゲットも頼むかい?」と聞いても、「いえ、いいです」と断られた。「ちきしょう、あたしが食べたかったのに」と思っていると、マックのお姉さんが「只今ナゲット100円になってます」と、素晴らしいセールストークをしてきたので「じゃあ1個」と、スマートに頼む事が出来た。
運転しながらハンバーガーを食べるのは意外と難しく、ましてやナゲットにソースを付けるのは至難の業であり、信号で停まる度ヤマに「ナゲット!ソース!」と指令を出し、円滑に食べる事が出来た。
すると案の定食べ過ぎであり、ついでに前日の飲み過ぎも崇り、ゴンドラに乗ると急に気分が悪くなってしまった。「気持ちわりい・・」と言い続ける私に、当たり前だと言わんばかりにヤマは同情してくれなかった。
仕方ないので私だけ休憩する事にし、食堂でカレーやラーメンの匂いにまみれぼーっとしていた。するとヤマも休憩しに来たので、「ラーメン食べたくない?」と聞くと、「ついさっき、苦しい、気持ち悪いって言ってたじゃないですか・・」と、嫌な事を言ってきたので「いや、別に食べたい訳じゃないよ」と言ってやると、かなり不審の目で見られた。
結局最後まで気分が優れなく、何をしに行ったか分からないボードであった。

2007年3月18日日曜日

ビフォーアフター

張り切って通っていたスポーツクラブも、最近は月に2回ほど風呂に入りに行く程度になってしまった。銭湯にしては高い。
「このままではいかん」と、再度奮起して行ってみると、行く度にちょいちょい見掛けていたデブの若い男の子が、劇的に痩せているのを目撃してしまった。
「嘘だ・・」と、自分の目を疑ったが間違いなくあの彼である。あんなに太っていたのに、今では私より痩せているではないか。上級向けのエアロビも笑顔でこなし、今や彼に昔の面影はない。誰かに言って、彼の功績を称えたいのだが、スポーツクラブに知り合いはおらず、ましてや彼に注目してたのも私だけだと思われ、無念さだけが残る。
逆に私は1グラムも痩せないので、やめたほうが良いのかもしれない。

2007年3月16日金曜日

親知らず


アルバイトのナガイ君。4本の親知らずを抜く為に1週間以上の入院をし手術をして、今日からカムバックしてきた。
親知らずのせいで発熱し、時期が時期だけに「インフルエンザだ・・」と思い病院に行った所、「原因不明です」と言われたらしい。不安を抱えながら過ごしていると、やっと歯が痛くなって歯医者に行き原因が分かった。そして一気に4本抜く事になったらしく、入院を余儀なくされた。
ありきたりだが「痛かった?」と聞いてみると、「全身麻酔した事あります?」と、逆に質問された。「ないよ、健康優良児だもん」と言うと、それから全身麻酔の凄さを語ってくれた。
点滴で入れるらしいのだが、首から上に来た途端に記憶が無くなるらしい。気付いた時には、「ナガイさん、ナガイさん」と看護婦に呼ばれて、無事手術成功だと言うのだ。病院に縁の無い私にとっては嘘の様な話である。

親知らずも抜いて心機一転のナガイ君。春からは社員になる。

2007年3月13日火曜日

POMODORO


賄いはいつも、若い衆が自分達の作りたい物を作って出してくるのだが、今日はどうしても「にんにくとバジリコのトマトソーススパゲッティ」が食べたくなり、リクエストをして作ってもらった。
スパゲッティを食べるとしたら、最近は必ずこれを食べる。美味しくて飽きないのだ。
今日はヤマが作ってくれたのだが、意外にも非常に美味しく作っていた。一言言ってやろうと思い、「ヤマー!」と呼ぶと、完全に注意されると思っていたらしく、「美味しかった」と言うと、「びびった、びびった」と連呼していた。普段呼びつける時は、9割怒る時なので仕方あるまい。
「ポモドーロ」、メニューには載ってませんが、ご要望があればいつでも。

2007年3月9日金曜日

100点


ほぼ毎日、店に遊びに来るマーカス。
そして必ず、「ハイ、ハニー元気?」と聞いてくるので、私も必ず「うるせえ」と言う。
「どうしてうるせえ?」と言われるのだが、ごもっともである。マーカスは一つも悪くない。
「うるせえ」を毎日続けて言っていると、ついにマーカスに「はい、今日も100点です」と言われてしまった。それを聞きつけたナカイが喜んで、事ある毎に「100点です」と言う始末である。
今日はボードに書いて帰って行った。漢字で書いてあるのがまた腹立たしい。

2007年3月6日火曜日

ドリームガール

マリさんが「ドリームガールを見たい」と言うので、久々に映画に行く事にした。
ドリームガールは、先日アカデミー賞でも話題になっていたので見たいとは思っていた。しかしふと、「ん?ディパーテッドもやってるよな」と思い、作品賞を取った事だし、こちらの方が見たくなってきたので、「ディパーテッドじゃ駄目なの?」と、マリさんにメールした所、完全に無視された。どうやらお気に召さないらしい。
映画はなかなか面白く、二人でビヨンセの美しさにノックアウトされた。助演女優賞を取った、ジェニファー・ハドソンが何となく自分に似てる気がし、「あたし似てない?」と、マリさんに聞くと、笑って否定はしていなかった。

2007年3月4日日曜日

液体絆創膏の思い出

今更ながら液体絆創膏を使ってみると、あまりの痛さに驚いた。沁みる沁みるとは聞いていたが、ここまで沁みるとは。じわじわとえぐられる様に痛いので、「いっそ一思いにやってくれ」と思う。
「いてえ、いてえ」と言っていると、カズヤが「それ痛いですよね、自分も顔に塗った事あります」と言い出した。指でも痛いのに顔などもっと痛いに決まっている。
「何で顔さ」と聞くと、子供の頃、目をつぶって何処まで自転車を乗れるか試した時に怪我をしたという。「目つぶったら、どっかぶつかるに決まってんじゃん!」と言うと、「何かやってみたくなったんですよ」と、それが当然の性だと言わんばかりである。「バカじゃないの、そんな人いないよ」と言っていると、隣でヤマが手を上げて「自分も同じ事しました」と言うではないか。そんなバカをする奴が身近に二人も居るとなれば、「もしや」と思いナカイにも聞いてみると、ナカイもやった事があると言う。皆一様に「どこまで真っ直ぐ行けるかと思って・・」と、言っていた。
思わぬ所で、バカ共の幼少期のエピソードを聞いてしまった。

2007年3月2日金曜日

地域格差

ナカイは帯広出身であり、高校時代までをそこで過ごした。
帯広での学生時代の話を聞くと、私が同じ学生の時でも有り得なかった古いエピソードが盛り沢山であり、「帯広は時代が10年遅れてる」と、いつも私は言っている。
雑誌に帯広の店が出ていると、必ずナカイに教えるのだが、その度に「ほれ、これも古いね」と言い、ナカイが何を言っても耳を貸さない。
しかし、どうであろう。ふと思ったのだが、私の住む札幌はそんなに都会であろうか。聞き流していたが、そういえばいつもマーカスが、「札幌は何もない」と言っているではないか。政令指定都市だと思って、つい天狗になっていた。
考えてみると、帯広も札幌もさほど変わらない。同じ北海道である。これからはナカイに「古い」と言うのはやめよう。

2007年2月27日火曜日

社長のカレー

1ヶ月程前に、賄いでスープカレーを作ったのだが、それについて社長に「あれって何のスパイスが入ってるの?」と、今になって突然聞かれた。
「何故今になって・・」と思いながら、店にあるスパイスを見せ、「どうしたんですか」と尋ねると、どうやらイチコさんに言われたらしい。
「子供が生まれた時に一回だけカレー作ったんだけど、『あれ以来作ってくんないよね』って言われてさー」という事であった。なるほど納得である。
私も自分で作るより、味はさておき若い衆の作った賄いの方が好きである。自分で作った物は、味が分かっている為、「イエーイ!いっただっきま~す」という気分にはなれない。
社長はカレー好きなので、きっと美味しいカレーを作ったであろう。イチコさん、どうでしたか。

2007年2月24日土曜日

還暦パーティー


先日、ファイの内野さんの還暦パーティーが盛大に行われた。
私達は後片付け要員なので、ピアッツァ営業後に、カズヤにコック帽とコックコートを持参させ、準備万端で向かった。
各界著名人からの物凄い花束とプレゼントの量に驚き、改めて内野さんの人望の厚さに脱帽であった。サプライズパーティーであったらしく、内野さんを騙すのに一苦労であったという。私もクミさんに「ドレスコードは赤で」と言われたので、仕方なしに家にある変な赤い服を着て行くと、誰も赤い服など着ておらず、私もまんまと騙された。
ろくに後片付けもせずに、打ち上げの「焼肉」はしっかり参加してきた。カズヤが、持参したコック帽を何故かクロークに預けており、帰り際、ご丁寧に両手を添えて店員さんに返して貰っている所を目撃し、どうでもいい所で腹を抱えて笑ってしまった。
内野さん、これからも益々元気で居て下さい。

2007年2月21日水曜日

細胞


若い衆達は、一度注意しても、二度、三度と同じ過ちを繰り返す事が多い。
その度に、「こないだ言ったばっかりだろー!」とか、「忘れたのかこのやろう!」と怒鳴り散らし、血管が切れそうになる事もしばしばである。
友人に相談してみた所、「わかるわかる」と言うので、「私のこの、やり切れない気持ちを理解してくれたか」と思っていると、「忘れるとか、そんなんでないんだって」と、なんと若い衆の気持ちの方が分かると言い出した。
「ええ?!」と私は驚き、友人の話を聞いてみると、友人もよく母親にその様に怒られたという。「何で同じ事何回も言わせるの!」と言われても、「覚えてるとか、忘れたとか、そういう次元でなくて、細胞が死んでんだわ」と言いきった。そして、「だから、あまりヤマちゃんを怒らないで」と、ヤマびいきの友人は言うのだ。
「細胞が死んでるって・・駄目じゃんそれ・・」と言うと、「じいさんとかと話す時には凄い良い。何故なら、同じ話を何度聞いても、初めて聞いたみたいに聞けるから」と、細胞が死んでいる事による利点を教えてくれた。
それを聞き、そんな人達に怒っている自分が何だか馬鹿馬鹿しくなった。

2007年2月20日火曜日

誤った憶測

先日、通勤中に大渋滞に合った。
しかもそこは絶対に渋滞になる様な場所ではない為、「事故だな、絶対そうだ」と、私は確信していた。
現場近くに渋滞の列が到着すると、警察車両はたくさん停まっているが、どうやら事故ではないのだ。とある飲食店に、警察官や、刑事らしき人が出入りしている。
「事件だ・・」私は即座に1月にあった、焼肉店の殺人事件を思い出し、「まさかまたあんな事が・・」と、平和な南区に不穏な空気が流れるのを感じた。
店に着き、「大変だ、事件だ」と皆にも即刻伝えた。「そんなに大事だったんなら、ニュースになるかもね」等と言われたので、自慢のワンセグでニュースをチェックしたり、ヤフートピックスを見たりしたが、それらしき事件は見つからなかった。
気になったので、帰りに注意深くその店を見てみると、何やら張り紙がしてあった。「あ!あそこに多分、今日の事件について何か書かれている」と分かったが、車を止めて見るのも何かと思い、翌朝また見れば良いと考えてその場をやり過ごした。
しかし年のせいか、翌朝になると、昨日の出来事はすっかり頭から消え、何事も無かったかの様にその店の前を何日も行ったり来たりしていた。
そして今日、ふと思い出しついにその店の張り紙を見ると、「レバ刺し」と書いてあった。
私の感じた不穏の空気を一片も感じさせないその文字に、しばし呆然とするしかなかった。

2007年2月17日土曜日

行ってらっしゃいヤス


なんと、ヤスが明日から3ヶ月間、イタリアへ行く。試練の一人旅である。
姉妹店に行くので、さほど心配はしていない。言葉だけは苦労すると思うが。
毎日一緒に仕事をしていても、話し掛けてくる事など皆無に等しいので、「ヤスが居なくなって寂しい」という気持ちは、正直丸っきり無い。おそらく、最近めっきり宮崎県知事に似てきたナカイあたりが居なくなるのであれば、毎日ギャーギャーとうるさいので寂しいくらい思うかもしれぬが。皆は一応「寂しい」と言っていた。確かに、ヤマとカズヤはヤスが居ないと寂しくて不安であろう。これから3ヶ月、私の怒りの矛先は彼等に向かうのであるから。
とりあえず、元気で帰って来てくれればそれで良い。頑張れなどと言わなくても、十分過ぎるほど頑張る男なので

2007年2月15日木曜日

瀕死のヨガ

「温度40度、湿度55パーセント」でやるヨガがある。無料体験があるというので、遊び半分で友人と行くと死ぬ目に合った。
スタジオに入り、「温度40度、湿度55パーセント」を体感し驚いた。有り得ない程暑いのだ。黙っているだけでも暑いのに、90分間動くなど、到底無理である。考えただけで気が遠くなった。
インストラクターが説明を始めたのだが、なんと自分は、口頭説明だけで実際に見本を見せないと言うのだ。インストラクターのくせに見本を見せないなんて、無料だから怒らなかったが、金を出していたら一言物申していたかもしれぬ。おそらく、言葉をしっかり理解して、頭で考えて動く事が大事だと言いたいのだろうが、こっちは暑さでイラついているのだ。思いっきり小さい人間になってしまい、「お前もやれ」と言いたい気持ちで一杯になった。
始まって10分で限界を感じた。あと80分もあるという現実を受け入れられず、水をがぶ飲みしていると、あっという間に底を尽きそうになっていた。もうここは砂漠である。
途中から、インストラクターの言う事は理解出来なくなった。それでなくても「あいつは自分でやらないでずるい」という気持ちがあるので、全く耳に入ってこなくなってしまった。
何とか90分を乗り切り、死なずに終わってほっとした。直後に、無料体験だったので、アンケートが配られた。
「きつすぎる」と、ミミズの張った様な字で書き、筆圧高めで「入会しない」にチェックを入れた。

2007年2月12日月曜日

ヤスの楽しみ


ヤスは大体いつもむったりした顔をしているので、「一体何を楽しみに生きているんだろう」と、ふと気になった。
ナカイにそう言ってみると、「ひどい事言うねえ」と言うので、「じゃあ、ヤスの楽しみって何だと思う?」と聞くと、「う~ん、なんだろう・・」となった。
ナカイの楽しみは言うまでもなく、「飲んで食べる事」である。傍から見ても一目瞭然だ。太っている奴はそれ以外の楽しみはないし、だから太っているのだ。勿論私もその一味である。
「ノンちゃんは何?」と聞かれたので、「カッコいい人と一緒に、飲んで食べる事」と言うと、爆笑していた。ついでに昔、私がカッコいい人との食事にこぎ付けた時、「何食べたい?」と聞かれ、「肉」と言ってしまい、大失敗した武勇伝をしてやると喜んでいた。
さてヤスは一体何なんだろう。とりあえず今は、3日前に新調した携帯を触る事だろうか。休憩中、ひたすら触っているので。

2007年2月9日金曜日

愛車

車は無くては困るのに、全く大切にしていない。
自分で洗車をした事はないし、傷が付いても気にならない。ヤスがまだ当時新しかった私の車に、自転車をぶつけてへこました事もあったが、殴るだけで許してやった。
先日、大雪が降った際に、車の屋根の雪を落とさないで出発した所、車が温まった頃にブレーキをかけると、屋根の雪が全部フロントガラスに落ちてきてしまい、大量の雪にワイパーも全く効かず、前が見えなくなり死ぬ目に合った。
その教訓を生かせず、性懲りも無くまた雪を落とさずにワイパーをかけると、ついにワイパーが壊れた。
原因は完全に自分の責任であるのに、トヨタへ行った私は「何か分からないが壊れた」みたいに言うと、「雪か氷を落とさないで動かしませんでしたか」と、トヨタの人はあっさりお見通しであったので、「はい、そうです・・」と、こちらも認めざるを得なかった。
ワイパー一つでも動かなければ不便極まりない。無精がらずに雪はきちんと落とそう。

2007年2月6日火曜日

マリさんの誕生会


今年もマリさんの誕生日がやってきた。
今回は私が企画、運営しようと先頭に立った。そうでなければ彼女は自分でやってしまうからである。
食事は「ミクニ」、二次会は「中目卓球ラウンジ」、三次会は「ジムクロウ」と、予定を立て、それぞれにサプライズゲストを企画した。
「我ながら良い企画だ」と思いつつ、腹一杯でミクニを後にし、ピンポンクラブへ向かおうと、オーナーである友人に連絡すると「今日は休み」と、あっさり言われてしまい、早くも予定が狂ってしまった。
しかし急遽、ピンポンクラブのオーナーが参加してくれたので、二次会は何とかごまかせた。「三次会こそは期待してくれ」と言っていると、三次会のサプライズゲストから、マリさんに連絡が入り、これまた思いっきりバレてしまった。もう完全に企画倒れである。
しかし、三次会でノーナリーブスに会い、色めきたった。写真を撮らせてもらい、サインまで貰ってしまった。後に写真を見ると、暗くて誰が誰だか分からない状態であったが。
どうやら私プレゼンツの企画は、詰めが甘い事が判明した。来年はしっかり企画を練り、マリさんをもっと喜ばせてあげたい。

2007年2月4日日曜日

幸せになるソース


アルバイトの女の子であるモタイが、オーダーをとってきて、お客様が肉を辛いソースで食べたいという事であった。
「あい、了解」と、その伝表を見ると、「辛めで」と書こうとしたと思われるのだがなんと「幸めで」で書いてあり、ナカイと引っくり返って笑った。
「ねえねえ、幸せソースの作り方教えてよ」と、からかうと「言わないで下さい!」とモタイが怒るので、「ハッピ~」とずっと言ってやった。
皆で爆笑したが、カズヤは笑ってる場合ではない。「ジャパネットタカダ」の事を「タカネットジャバダ」と言っていたのだから。

2007年2月2日金曜日

ヤマのジュース


ヤマは冬の長期休暇を終え、先日から出勤してきているが、旅行に行ったのに何もお土産を買ってこなかった。
「旭川だから買わなくていいと思った・・」と、本人は言っていたが「そういう問題じゃねえ!」と私は激怒した。旭川と言えば「き花」だろう。甘い物はそれほど好きではないが、あればあったで人一倍食べるのだ。
私の逆鱗に触れたヤマは、慌てて東急ストアへ買い物へ出かけて行き、リンゴジュースと源氏パイを買ってきた。
意地悪な私は、「ヤマが旭川行ったのにお土産買ってこなかったから東急で買って来たリンゴジュース飲む?」と、ヤスに聞くと、ヤスも「ヤマが旭川行ったのにお土産買ってこなくて東急で買って来たリンゴジュース飲みます」と返して来たので嬉しくなり、全員にその様に聞いて回り、全員から同じ回答を頂いた。
「ヤマが旭川行ったのにお土産買ってこなかったから東急で買ってきたリンゴジュース皆に注いで」と、ヤマに言うと、ヤマは皆の分をグラスを出してジュースを注いだのは良いのだが、全く均等に注げず、「ドレミファソラシド」になっていたので叩いてやった。

2007年1月30日火曜日

あるある


捏造が発覚した「あるある大辞典」であるが、私などははなっから信用していなかった。いや、信用してないというのは語弊があるが、私と同じ様な太ったモニターのおばはんが「体重が減った!」と言っていても、到底信用出来なかった。何かを食べて痩せるのであれば、こちとらとっくに痩せてるというのだ。
しかし、痩せるのは抜きにせよ、健康に悪い事を言っている様子は無かったので、ちょいちょい見ていた。矛盾してるが、ちょいちょい見る時はダイエット系の時であるが。
次々に捏造が明るみに出ている「あるある大辞典」。以前、「イソフラボンとカプサイシンを同時に摂取するとハゲに効くらしいから、ナカイに言っとけ」と、友人に教えられたのでナカイに大至急教えてあげた事があった。そして今日、その友人から、「あの増毛法も捏造かもしれんからナカイに謝っておいて」と連絡が入った。

2007年1月27日土曜日

レバー

本日は、日替わりメニューにレバー料理を並べてみた。
「鶏レバーのクロスティーニ」に、「牛レバーのヴェネツイア風」に、「豚レバーのフィレンツェ風」である。レバー好きには堪らないラインナップになっているはずである。
レバーは嫌いな人が多いが、私は大好物である。今日はニーズを考えず、自分本意でメニューを作ってみた。
おそらくあまり出ないであろう。

2007年1月25日木曜日

格闘技好きのヤス


今更ながら、大晦日の「秋山VS桜庭」の話をヤスとしていると、何とヤスはヌルヌル事件を知らなかった。
「えええーー、すっごい有名じゃん」と言うと、「知らない知らない」とうろたえ出した。ヤスは昔レスリングをやっており、格闘技に関しては少々うるさいのだ。夜中にたまにやる「高校柔道全国大会」みたいなのものさえ、格闘技が好き過ぎて見るくらいである。それなのに、私より知らない事があった為、驚きを隠せない様子であった。
ヤスが知らないので私も得意になり、「秋山はもう聞かないでくれって言ったらしい」等と、適当な事を言い並べてやった。
私の憶測の話より真相を知りたいヤスは、ネットで検索してくれと言い出したので、渋々検索してやると、何だか思った以上に色々出てきた。真相は明らかでないにしろ、「色々あんだなあ」と、二人で納得した。
レスリングをやっていたお陰で体がふにゃふにゃなヤスが、落胆する事のないような正々堂々とした試合をして欲しいものである。

2007年1月23日火曜日

メガマック

何だかメガマックが話題なので「食べてみたいなあ」と思っていた。店で皆に聞いてみた所、なんと全員食べていた。やはりバカばっかりである。
皆一様に、「大きい大きいと言うが、それ程ではない」という事を口にしていた。私にしてみれば、普通のハンバーガー1個は、一般の人のポテトチップス1枚くらいの感覚であるので、メガマック1個で満足出来るかどうかが心配であったのだ。ナカイは、「ノンちゃんなら潰して一口で食べれる」と教えてくれた。
皆の話を聞き、早急に食べる物でもないという事が分かったのでまだ食べていないが、いつかは食べてみたい一品である。

2007年1月20日土曜日

東京寄り道

休みで九州に行った時、帰りに東京に寄った。コマツの働く「カノビアーノ」に行く為である。
行く前日にコマツから連絡があり、ついにパスタを作る様になったと喜んでいたので、私も楽しみであった。
コマツがご丁寧に、店までの道程をメールで送ってくれたのだが全く分からず、お店に電話して聞く羽目になった。店に着くと、店側としては気を使ってくれたのだろうが、私の座る席は働くコマツの目の前であり、私は色々と見れて楽しかったが、コマツは最高にやりづらかったに違いない。
一緒に行った友人がベジタリアンであったので、「ベジタリアンコースを頼む」とコマツにお願いしておいた。サービスの方も「今日はコマツが全部考えました」と言うので安心していると、早速「生ハム」が出てきた。「あんのブタ、肉抜きって言ったのに!」と私が怒っていると、友人は「いいのいいの」と皿の端に除けていたので、その生ハムをすかさず私が頂くと、友人は驚いていた。レストランで行儀の悪い事はしない方が良い。
生ハム以外は肉類は出て来なく、滞りなく食事を終えるとコマツが現れ、「どうでしたか・・」と聞くので、「美味しかったよ、また腕上げたな」と言うと、「本当の事言って下さい・・」と、私がお世辞を言っているかの様な事を言い出すのでウケた。東京に行って疑り深くなった様である。なので、もっとはっきりと、あまり他の人には言えない様な言葉で言ってやると納得していた。
美味しかったので「明日のランチも来るよ」と帰路についたのだが、翌朝のホテルの朝食ビュッフェが、これまた美味しくて食べ過ぎてしまい、腹が苦しくてランチどころの騒ぎでなくなってしまった。
また次回の楽しみに取っておく事にしよう。

2007年1月18日木曜日

最終日


今日でついに休みも終わりである。休みを満喫し過ぎて、日記さえも疎かにしてしまった。
昨年は、休みの間の日記を若い衆に頼んでおいたのだが、ろくな事を書かないので今年は頼まなかった。暇を見つけて書こうと思っていたのだが、毎日飲んで食べている怠惰な日々を送っていただけなので、取り立てて書く事もなかったというのが実情である。新年会と託けて、何度飲んだ事か。
久々に、おかまバーにも行ってきた。おかまは見習う所が一杯ある。せめて一応は女に生まれてきたのだから、女性として恥ずかしくない素行をせねばと考えさせられた。
明日から仕事である。休みの後の仕事は格別である。

2007年1月13日土曜日

馬一頭

九州への旅行から帰って来て、すぐに友人宅へ遊びに行った。
熊本で食べた馬刺しが非常に美味しく、5人前を食べたと話すと、「あいつ一人で馬一頭食ってるって皆で話してたんだ」と言われ大笑いした。
翌日、お土産があるので店へ行くと、ナカイも「お客さんに、ノンちゃんは熊本に馬一頭食べに行ってますって言っておいた」と、友人と全く同じ事を言っていた。皆、私の腹は底無しであると思っているらしい。
間違ってはいないが。

2007年1月8日月曜日

冬休み

明日から私は10連休である。毎年決まって連休を頂けるのは有り難い限りで、社長に心から感謝である。
今年は、旨い物が一杯ありそうな九州へ行く事にした。友人を誘って行くつもりであったが、母が「行きたい」と言い出してしまい、思わぬ所で母子水入らずの旅になってしまった。
熊本に古くからの知人が居るので訪ねようと思い、母に電話させると、「え?馬料理?いいのいいの、顔見るだけでいいから何も気使わないでー」と言っているのを耳にした。熊本と言えば「馬」だと思っていたので、それだけは何としても食べたいし、地元の人に教えて貰った方が断然良いではないかと思い、「馬料理だけは食べたい」と横でつぶやくと、「娘が食べたいって言ってるわ・・」と伝えてくれていた。

これから10日間も、うるさい私が居ないので、若い連中は嬉しさのあまり、もうはや浮き足立っている様に見える。腹が立つので休み中何度も店に足を運んでやろうと思う。

2007年1月6日土曜日

ウイルス


友人と新年会をした際に、友人が私の写メールを撮った。素敵な男性が居た場合に「これはどうか」と見せる用であるという。
するとその写真、友人が携帯から送るメールの全てに、勝手に添付されると苦情が入ってきた。何をどうやっても添付されるというのだ。
「そんな事有り得ないよな」と、アホな友人に相談すると、「お前の顔だからウイルスばりで取れないんだ」と、納得の説明を受けた。
結局、素敵な男性に公開される前に、私の写真自体を削除したらしい。残念だが仕方あるまい。

2007年1月3日水曜日

新年


何故こんなにも正月の休みはあっという間なのか。食って寝てテレビを見ていたら、1月2日になっていた。ろくな事をした記憶がない。
大晦日はダウンタウンの「ガキの使い」を見て笑い納めをし、元旦はたけしの「お笑いウルトラクイズ」を見て初笑いである。そして2日はアホな友人とカラオケに行き、シャンソン風カラオケを聞かせてもらい、またまた大笑いである。笑いっぱなしの正月であった。
笑う門には福来る。
タベルナ・ラ・ピアッツァ、今年も宜しくお願い致します。