さて、続いて私はエミリアロマーニャ州チェゼナ-ティコにある「アルガッロ」に向かった。
その前にヴェネツィアに行ったが、それはまったくのバカンスであるので別の機会にしたいと思う。
ヴェネツィアでは有名なカーニバルがあり、1週間早かったので見れなかったのが残念であったが。
初めてイタリアに行った時に「アルガッロ」に行った事はあった。家族でやっているとても素敵な店である。その時はオーナーと一緒に行き、列車の乗り継ぎも、降りる駅も、「アルガッロ」迄の道のりも、全て頼りきっていた為、今回はちょいと苦労した。
チェゼナ-ティコの駅には着いた。なんとかであるが。
な~んとなく見覚えがあるが、しょーもない記憶を頼りに見切り発車をしても迷うのは目に見えているので、近くにいた学生に聞いてみた。すると、あっさり「知らない」と言われた。
え?
チェゼナ-ティコは小さな町ではないのか?最寄りの駅で降りているのに、町にあるレストランを知らないなんて。幸先が悪い。
気を取り直して、近くのバールに入って聞く事にした。
そこには、じいさんばかりがたむろしていて、私が入った瞬間シーンとなった。多少怯んだが、勇気を振り絞って聞いた。すると、またもやみんな首をかしげていたが、1人だけ「オレ知ってるぜ」と言わんばかりのじいさんがいた。「そこを真直ぐ行って、橋を渡ったら左に~~」と、親切に何回も教えてくれたが、橋を渡って左までしか私には覚えられなかった。まあいい。
橋を渡ったらまた誰かに聞こうと思い、「ぐら~っつぃえ」と何回も言い、バールを後にし、歩き出した。
「ちきしょー、スーツケース重すぎるぞ」と、考えながらフラフラ歩いていると、さっきのじいさんもまたフラフラと自転車に乗って、私の後ろからやって来た。
そしてまた御丁寧に「あそこを曲がれ」と教えてくれた。
私も再度「ぐら~っつぃえーー」と連呼し、じいさんを見送り、言われる通りに歩いて行った。
橋も渡り、「はて?次はどっちだったか」と、考えていると、またあのじいさんがやって来た。
「こっちだ、こっちだ」と、見るに見兼ねたらしく、道案内してくれた。なんて良い人なんだ。
怪し気な東洋人にこんなに気を使ってくれるなんて。じいさんは店の前まで自転車で案内してくれた。感謝、感謝である。
店に着き、「アルガッロ」のみんなに出迎えられたが、大問題に遭遇した。なんと、ホテルが何処も営業してないと言うのだ。
何も確認しないで行った私が悪いのだが。
この町は海辺の町であるから、夏はえらい事になってるらしいが、冬は鎖国したように誰も来ないらしい。
よって、ホテルも何処もやってないのだ。すると「アルガッロ」のママが「うちは店の2階だから、そこに泊まりなさい」と言った。
ええぇーーー!
そんな迷惑はかけられない。仕事をさせてもらうだけでも、多大なる迷惑をかける羽目になるのに、ましてや居候なんて。
しかしあれよあれよと言う間に、私は家に上がり込み、すっかり居着く事になった。
「アルガッロ」は家族経営である。パパがシェフで、ママと娘二人が手伝っているという。
女3人兄弟で、一番下のコはまだ中学生くらいなので店の手伝いはしてない。
そしてシェフであるパパも、近年、病気の為、長い間厨房に立って仕事は出来ないらしい。
厨房は「ユーリ」という男の人が全て1人でやっていた。忙しい時はママも厨房に立ち、料理を作る、といった具合だ。
私は一番下のコの「ララ」の部屋で、一緒に寝泊まりさせてもらう事になった。
私がララなら、そんな事絶対お断りであるが、ララは快く私を迎えてくれた。
「私は朝早くに学校に行くし、帰って来ても寝るだけだから、好きに使っていーよ」
と言ってくれ、毎日いろんな事を話した(もちろん、辞書を引きつつ)。
好きな男のコがいるらしく、「さっき電話きたさ、キャー!」等と、毎日大騒ぎであった。
仕事の方はというと、朝9時から始まる。魚料理がメインの店なので、毎日魚が届く。
シーズンオフで店は暇なのに、毎日魚が届く。届いた魚をひたすら3枚におろすのが私の仕事であった。
しかもハサミで、である。こっそり包丁を使っておろしていると、「こっちの方が早い」と、すかさずハサミを渡された。
郷に入っては郷に従えの精神で、腹を決めてハサミでおろした。しかしえらく時間がかかり、「遅い、時間かかり過ぎ」と言われる始末。
もう笑うしかなかった。
店は12時から営業である。その前の11時から、みんなで御飯を食べる。
毎日ちゃんとテーブルクロスがひかれ、ワインと水とパンが用意されており、プリモピアットとセコンドピアットが出てくる。
私が居るから気を使って色々出してくれたのかもしれないが、ほんとに毎日おいしい賄い料理であった。
賄いであるのがもったいないくらいである。そして量もすごいのだ。
私はなかなかの大食いであるが、さすがの私も根をあげる日があった。
そんなある日、ママが「日本の料理が食べたい、作って」と言い出した。
私はすごい勢いで辞退したが、ママも引かなかった。根負けした私は、何かを作らなければならない羽目になった。
しかしいったい何を作ろう?そう考えると、私には得意料理なんてあったか?まさかイタリア人の前でイタリア料理出す訳にもいかないし。
考え抜いた挙げ句、得意ではないが、大好きな「ザンギ」を作る事にした。
ママは前の日から楽しみにしてる様子で、「明日、日本の料理作ってもらうのよー」と、誰彼構わず話していた。
そんなに喜ばれると、まったくもってプレッシャーである。
さて私はみんなを喜ばせる事ができるのであろうか。
次回へ続く。
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