2006年3月30日木曜日

消化試合

ヤスと寿司を食べに行った。
というのも、ヤスの嫁にいつも世話になっているので、正確に言えばヤスの嫁のチカと、おまけでヤスと3人で行くはずであった。
しかし当日になり、チカは急な仕事が入ってしまい行けなくなり、おまけのヤスと2人で行く事になってしまった。
「消化試合ですいません」と、ヤスが言うので、「まったくその通り」と、寿司屋へ向かった。
ヤスとたいした話す事も無いので、職人さんの仕事振りに感心しながらひたすら食べた。全て美味しいのだが、中でも活のトリガイが一番印象に残っている。当たり前だが、完全に生きて動いていた。
あと一口何か食べたら吐きそうなくらい食べ、大満足で店で後にした。そして来週の予約もしてきた。次はマリさんとである。

2006年3月28日火曜日

健康診断

私は行ってないのだが、他の者が皆、休みを利用して健康診断に行ってきたそうだ。
それが終わった後、ヤスと飲みに行ったので、「健康診断どうだった」と聞くと、滞りなく終わったみたいに言っていたので、その後は気にもせずにいた。
翌日、店に来て皆の話しを聞くと、ヤスの話しとはまったく裏腹であった。
身長、体重を計り、血液検査、尿検査、などやったらしい。ヤスは先頭を切って尿検査をし、普通であればそのまま便所の中にコップを提出する場所があるからそこに置くのだが、なんと小便を持ってトイレを出てしまい、外来患者が待つロビーを横切り、血液検査の所まで持ってきてしまったという。それを見た大吉とシラキは、目が丸くなったと言っていた。当たり前である。どこにそんな人が居るのか。病院で小便を持った人に出くわした事は一度もないではないか。ヤスは看護婦さんに注意され、また外来患者の大勢居るロビーを小便を持って横切ったらしい。
私は腹が痛くなる程笑った。その事を考えると今でも笑える。

2006年3月25日土曜日

ランク

ディナー前に皆で話していると、中学校の時のランクの話しになった。
ヤスは、「オレは余市のG」と、自慢げに言う所ではないのに、自信満々に言ってしまった。次々に皆に聞いていくと、「H」「I」「J」と、見事にGの下に続いた。どうりでヤスがGで自慢する訳である。しかもHのシラキと、「俺達HGだ」と喜んでいた。
ついにはバカ自慢が始まってしまい、「塾にずっと通ってたのにHだった」暴露し始めた。
「皆バカだな、おい」と言った私も、かつては家庭科で1を取っていた。それでもこの様な仕事をしているので、学生時代の友人は「まさかあんたがコックとはね」と、よく言っている。

2006年3月23日木曜日

講演会の前

先日マリさんと、講演会の様なものを聞きに行く事になった。
昼からの開始であったので、「腹が鳴っては恥ずかしい」と思い、私は家でたらふく飯を食べて出掛けた。
待ち合わせ場所へ行き、マリさんに会うと、「腹が減って、このままではシーンとした中で腹が鳴ってしまう」と言うので、「あたしは食べすぎで、げっぷが出るかもしれない」と言ってやると、冷ややかな目で見られた。
マリさんはコンビニに寄り、おにぎりを食べて腹を満たし、「歯にノリが付いてたら困るからトイレでチェックする」と言うので、「それより何より、ノリ臭いぞ」と言ってやると、「韓国ノリだったからな・・」と、どうでもいい事を悔やんでいた。
最近、恥ずかしさが薄れてきた様な気がする。気を引き締めねば。

2006年3月21日火曜日

世界№1

歴史的瞬間に立ち会えて幸せである。王ジャパンが見事に優勝してくれた。
「最後の一人になったら教えてくれ」と、休憩中の者に告げておいた。それまでも、何十回も裏にテレビを見に行っていたが、最後の一人を見逃しては意味がない。
「あと一人だよー」と、言われたので、慌てて社長にも、「あと一人です!」と報告し、勝利の瞬間を見逃さずに済んだ。可哀想にヤスは見逃していた。

私も男だったら、日の丸を背負うまでは行かずとも、野球をしていたはずだ。とりあえず、雪が解けたらキャッチボールをしたいと思う。

2006年3月19日日曜日

WBC

何と決勝進出である。
2次リーグでアメリカと韓国に負けた時には、完全に諦めていたが、メキシコの善戦のお陰でよもやの準決勝であった。友人は「アメ公、いんちきするから罰当たったんだ」と、言い切っていた。同感である。
ここまで来たのだから是非とも優勝して欲しい。21日が楽しみである。

2006年3月16日木曜日

最後の晩餐


ブブちゃん、ついに最後の日がやってきた。
ここ数日は何かにつけて皆に、「最後の賄いだ」「最後のミーティングだ」等と、まだ最後ではないのに散々からかわれていたが、本当に最後がやってきた。
最後の賄いは、コマツ思い出のカルボナーラを、自ら作っていた。入社当初、カルボナーラがどうしても上手に作れず、私に散々罵倒され、家で何度も練習したそうである。
コマツが居なくなるのは、まだ全く実感が沸かないが、これから段々忙しくなるにつれ分かるであろう。本当に良く働いていたので。
皆にも快く送り出されるのが、コマツが一生懸命働いた証である。「世界のブブちゃん」になるのを期待している。

2006年3月15日水曜日

アフターデスソース


私の兄は辛い物が大好きなのであろう。子供の頃、家でもよく「カラムーチョ」を食べているのを見た事がある。
以前、「辛いおかき」を店に持ってきてくれたのだが、今度は「アフターデスソース」という、タバスコの様な物を持ってきた。
「さすがのオレも食べれない」と言って持ってきたので、何ほど辛いのかと思い、皆に味見をさせると、「痛い痛い痛い痛い!」と、のたうち回っていた。どうやらかなり辛いらしい。
ナカイは顔が一回り大きくなり、毛穴が全開になりながら、カルピスをがぶ飲みしていた。社長はかなり辛いのが得意なので、大丈夫かと思いきや、後で涙を流していた。
しまいには、じゃんけんをし、負けた人がソースを舐めるというゲームを始め奇声を上げていたので、「いい加減にしなさいよ」と、私は店を後にした。そして次の日には皆、「尻が痛い・・」と口を揃えていた。

2006年3月12日日曜日

オーラ


「自分のオーラの色は何色だろう」と、どうでも良い事を、朝のミーティングで話していた。
私は、「自分は緑色である」と言っていて、後に診断すると本当に緑であった。何となくそんな気がしたのだ。
江原のスピリチュアルを信じている訳ではないが、そんな世界ももしかしたら存在するのか。ちょっと怖い感じもする。

2006年3月10日金曜日

土産担当

店では色々と土産を貰う機会が多い。
それを私はいつも、遠慮せずに開封し、誰よりも先に食べる為、皆いつの間にか土産を頂くと私の所に持ってくる。
只今、休暇中である社長が旅先から土産を送って来てくれた。それは明太子であり、魚卵好きの私達は飛び上がって喜んだ。ふと宛先を見てみると、「タベルナ・ラ・ピアッツァ、野村様」と書いてあった。しかもよく見るとイチコさんの字である。
店名だけでも十分届くと思うのだが、何故私の名が。土産担当の私の手に渡らないといけないという事なのだろうか。しかも名指しなだけに、私が来るまで開封しないで置いてあった。
明太子は非常に美味しく、その日のうちに全部食べてしまった。ご馳走様でした。

2006年3月9日木曜日

マスター

お世話になった方が亡くなった。「釣ーりんぐ北海道」というテレビ番組に出演していた、捧さんである。
私は大学入学時から6年近く、捧さんの営む居酒屋でアルバイトをしていた。「マスター」と呼び、何から何まで本当にお世話になった。
私が車の免許を取って、一番最初に乗った車は、捧さんから貰ったものである。自分は、新しい車を買うから、今まで乗っていた車をくれたのだ。店が終わった後には、自分だけでは行けない、ススキノの高級クラブとかにも一緒に連れて行ってもらった。私の母は、「嫁に行くまでずっと、捧さんの店でアルバイトさせてもらえ」と、常々言っていたほどである。
いつもテレビで活躍していたので、元気でやっているのだとばかり思い、病気だとは知らなかった。私が嫁に行くより先に、捧さんが逝ってしまうなんて。お世話になったのに、一つの恩返しも出来ないままであった。
お葬式には、捧さんの人柄から、たくさんの人が来ていた。私も心から冥福を祈りたい。

2006年3月7日火曜日

マーカスパーティー


マーカスが、私達がクリスマスマーケットをお手伝いした御礼に、食事に招待してくれるというので、「そんなつもりで手伝ったのではないからいいのに」と言いながら、二つ返事でお受けした。
ピアッツァの店にて待ち合わせする事にしたのだが、当日になりマーカスから連絡が来て、ススキノのロビンソンに変更になった。「はいよ了解~」と、自分だけ分かってヤスに伝えるのをすっかり忘れていた。
コマツとシラキは、マーカスから変更の連絡が来たらしく、ロビンソンに来たが、やはりヤスは現れなかった。当然である、言ってないのだから。
慌ててヤスに電話し、「ごめん!ごめん!」と平謝りすると、ヤスは電話口で「うそー!ロビンソン!?」と、声がひっくり返ってまたオカマ口調が出てしまっていた。
やっとヤスが到着し、「ほんとごめん」と言ってヤスをみると、マフラーとは思えない薄いチェックの布を巻いていたので、「テーブルクロス巻いて来たのか」と、言ってやると、コマツとシラキがぐっと笑うのを堪えていた。ヤスが遅れてきたのは私のせいであるのに、本当に私は悪い人間である。ついでにマーカスには、店に着いて「テーブルクロスひいて下さい」と言われていた。
マーカスに連れて行ってもらった店はとても美味しくて、しかも私達はたくさん食べた為、結構なお値段であったように思う。時給に換算しても、あんなに働いてないであろう。
これは今年の暮れのマーケットも張り切って手伝わねばならぬ。

2006年3月4日土曜日

レジ

毎日、賄いの食材を買いに東急ストアへ行く。
先日行くと、レジが一新していた。さすがに毎日行っているので顔見知りな為、「あれ、レジ変わったんですね」と話し掛けると、待ってましたと言わんばかりに「そうなのよー」と、新しいレジの文句を一通り聞かされた。
コマツも先日、出勤途中に道端で東急ストアのレジの人に会い、歩きながらずっと新しいレジの話しをされたと言っていた。どうやら東急では、レジの話しが今一番熱いらしい。
今までは、「お宅のお店、CMに出てたわね」と、何年も前の話を今だにされていたが、これからは当分レジの話になりそうである。

2006年3月1日水曜日

卒業

早いもので今年ももう3月。卒業シーズンである。
ピアッツァもこの春、卒業する者がいる。ブブちゃんコマツである。
4年前、専門学校を卒業して当店に入社。以来、紆余曲折を経て頑張り、4月から東京のイタリア料理店にて新たに働く。
4年の間にコマツは、技術も心も、そして体重も大きく成長した。最初のうちはよく、「帰れ!」だの「帰る!」だのと2人で言い合い、喧嘩をしていたが、今ではコマツと仕事をするのは大変やりやすい。何も言わなくても完璧に仕事をこなす。そして暇な時には、私のくだらない話しにも付き合ってくれ、変な踊りを教えればちゃんと踊ってくれる。
そんなコマツが居なくなるのはいささか寂しいが、彼の将来を思えば是非とも頑張って行って来て欲しい。新しい店では、変な踊りを躍らせられる事は無いであろう。安心して行けば良い。
3月15日が最後の勤務である。ブブを一目見たい方はその日までにどうぞ。