2007年5月30日水曜日

カウントダウン

早いもので残す所あと1日となった。いまだ辞める実感は湧かないが。
今月はたくさんの友人、知人、恩師達が訪れてくれ、先日は店を挙げての送別会までして頂き、本当に有り難い限りである。太っている以外、自慢がないと思っていた私であるが、たくさんの素敵な人達との繋がりが、私のもう一つの自慢であり、唯一無二の財産である事を今更ながら思い知った。
あと1日である。

2007年5月27日日曜日

ナガイ君


今春に入社したてのナガイ君。しっかり者だが、仕事はまだまだ覚える事が一杯である。
彼は洗い場がメインの仕事であったが、慣れてきたようなので、簡単な前菜やサラダ、デザートを作ったり、オーダーをまとめて厨房内に伝える場所に移動させた。
このポジションの仕事は、慣れるまではオーダーをまとめるのが一苦労なのだ。忙しい時は、この場所の人がしっかりしていなければ厨房が機能しなくなる。かくいう私も、当初はかなり泣かされた。ホールからも、厨房からもまくし立てられて、大至急家に帰りたい気持ちであった。
ナガイ君も勿論ちんぷんかんぷんである。出来ない危機感を自分でも感じているらしく、その魔のポジションにて、「社長に怒られる夢を見た」と、危機感を募らせていた。
私がいつか来た際には、スマートにオーダーをさばいているナガイ君を見たいものである。

2007年5月24日木曜日

におい

「・・におう・・」
何だか厨房に居ると、時折線香のにおいがする。スピリチュアルに傾倒していたので、「もしや何かの悪い知らせかも・・」と、いつの間にか研ぎ澄まされた自分の能力に恐れ慄いていた。
するとナカイも、「何かくさくねえか」と言い出したので、「これはおかしい」という事になった。皆で「どこだ?」「どれだ?」とやっていると、どうやらヤスが近くに居ると臭う事に気付いた。
「あんた臭いよ」とヤスに言ってやると、「えーーー!」と言いながら、自分の色んな所の臭いをかぎ、「あ!分かった!イタリアの洗濯洗剤だ!」とヤスは叫んだ。
原因が判明したので、「臭い服洗ってこい」という事で一件落着だった。しかしまた次の日になると臭った。
「まだくせえ!」と私が大声を出すと、ヤスは「全部洗ったし、着替えた」と言うが完全に臭っている。するとまた「あ!これか!」と、ヤスは自分の靴下の臭いを嗅ぎ出した。「これです!これ!ノムラさん!」と、私に靴下の臭いを嗅げと勧めてくるので、何だか流れでヤスの靴下の臭いを嗅ぐ羽目になってしまった。屈辱である。
それでも次の日、まだ臭いという事になり、ヤスも半ギレで「もう全部変えましたよ、もう無いです」と言っていたのだが、またしても「あ!」と叫び、今度は「パンツだ・・」と言い出した。
「あたしパンツの臭いは嗅ぎたくないよ」と、今回は辞退するとヤスは、「大丈夫です、ナカイさーーん」と、ナカイを呼びつけて嗅がせていた。
私達はこんなに臭いと騒いでいるのに、当の本人は臭くないのだろうか。イタリアで鼻が曲がったらしい。

2007年5月23日水曜日

帰国


ついにヤスが帰ってきた。
何故だか日焼けしており、ますますアルカイダ風になっている。
私が詳しく聞きたいのは、世界の坂本の事のみであり、「んで?!」「それで?!」と、根掘り葉掘り聞いてやった。羨ましい事にサインまで貰っていた。私の方が間違いなくファンであるのに悔しい。

「今日からは毎日ヤスが賄い作ってよー」と、皆でイタリア帰りのヤスの味を楽しんでいる。私の大好きなカネーデルリを作ってくれ、美味しかった。
ヤスの居ない穴を埋めていたのは、私ではなく若い衆達である。ヤスが帰ってきたので、彼等は只今休暇中である。頑張った彼等に、しばしの休息を。

2007年5月15日火曜日

ヤマ


ヤマは私に怒られない日はない。
小さい事で2個~3個やらかし、どでかい事を一つやらかす。「あんた何回言ったと思ってんの!」と言うと、「・・4、5回くらい・・」と、バカ正直に答える始末である。その度に私は、血管が切れそうになる程怒り、ヤマのお陰で間違いなく寿命が縮まったと思う。
先日などは、ヤマがゴミを分別していない場面を目撃したので、「バカで環境汚染」というキャッチフレーズを付けてあげた。
散々言っている私であるので、たまに「今日はエキサイトし過ぎて、少々言い過ぎたな」と、思う日もあるのだが、それでもヤマは次の日には笑って、「おはようございます!」と言ってくれる。
バカでも可愛い、私の子供達である。

2007年5月8日火曜日

世界のヤス

ゴールデンウィーク勤務明け、2週間ぶりの休日に、私は昼まで寝て、その挙句に昼寝をしていた。
昼寝最中に電話が鳴っているのに気付いたが、「今無理~」と思い、無視してそのまま寝続けた。起きてから見てみると、それはイタリアに居るヤスからであり、「まあ、たいした用事じゃないだろう」と、連絡はせずにいた。
休み明けに出勤すると、ナカイが開口一番「昨日ヤスから電話来た?!」と言うので、「何かあったのか」と聞くと、「坂本龍一に会ったんだって!店に何回も来たんだって!」と言うではないか。「えええ?!あの世界の坂本?!」と言うと、ナカイが笑い出した。どうやら社長も全く同じ反応であったらしい。
話によると、世界の坂本は北イタリア、ロベレート近くでコンサートをしていたらしく、ヤスの働く店に何回か訪れたらしい。そして、変な日本人が居るので声を掛けてくれたのだろう。何と、世界の坂本の一声で、コンサートをただで見てきたらしい。「うちの名詞ちゃんと渡したか!」と言うと、珍しく気が利いて渡していた。
当店に、世界の坂本が来る日もそう遠くはないかもしれぬと、淡い期待を抱いている。

2007年5月6日日曜日

相馬焼き


先日、福島から旅行で札幌にいらっしゃった御夫婦が来店してくださった。
オンライン予約をしてくださったので、福島からいらっしゃる事、イタリア料理が大好きな事、好みのワインの事などなど、色々な事を書いてくださった。そして、何度かメールをやり取りをしている内に、何だか初めて会う気分ではなくなっており、来店されるのが待ち遠しくなっていた。
その日は何だか忙しく、私はご挨拶もそこそこになってしまったのだが、ナカイが張り切って話していた。聞けばナカイ家のルーツが福島であるらしく、喜んで話していたのだ。
しかも、その話のせいで、ナカイ家ゆかりの地である相馬の有名な「相馬焼き」が本日届いた。返ってお客様に気を使わせてしまい、申し訳なさこの上ない。
福島の星野様、有難うございます。ナカイが大事に使わせて頂きます。

2007年5月4日金曜日

カズヤ


カズヤは賄いを作るのに、店にある値の張る食材を次から次に使いたがる。
「これ使ってもいいですか・・」と聞いてくるのだが、私はたまにしか許可を出さないので、ついに最近は隠れて勝手に使い出した。
作ってる途中で私が見つけ、「あれ?!チビてめえこの野郎!またそんなもん使いやがって!」と言うと、ニヤニヤ笑っている。「それで不味かったら承知しないよ!」と言うと、自信満々に「大丈夫です」と、不敵な笑みを浮かべる。
高価な食材を使ってるだけあり、最近腕を上げた様に思う。これからが楽しみである。

2007年5月1日火曜日

新しい道

どうせ仕事をするのなら、好きな事を仕事にした方が良いと思い、食べる事が好きなので料理の道を志した。
色々な店でアルバイトをしたが、大きな店では既成のソースを使う事が多く、「ソース等も自分で作れる様になりたい」と思い、ピアッツァの門を叩いた。後に聞いた話であるが、他にも候補が居た中、社長が、本格的な経験の無い私を押してくれたという。そのお陰で今の私がある。
入った当初は、本格的なレストランで働ける嬉しさと緊張でいっぱいであった。「将来は自分の店を持ちたいの?」と、色々な人によく聞かれたが、「この店で、せめて2番手になれたらいいなあ」というのが、当時の私の最大の目標であった。
そして気付けば、年功序列の波に乗って料理長になってしまった。なんだかんだと今年で入社10年目を迎え、ここいらでそろそろ次の道を歩もうと考えた。社長に相談し、時期を決め、次期料理長になる為にヤスが修行に行く事になった。そういえば、最近ヤスから連絡が無いが元気でやっているだろうか。

ヤスが5月後半に帰って来るので、私は5月いっぱい勤めさせてもらう。そしてバトンタッチである。
まだ1ヶ月あるので、辞める実感は全くない。といあえず、怒涛のゴールデンウィークを乗り切らねば。