2005年9月29日木曜日

オンライン予約

ピアッツァのパソコンには、毎日30件近くのメールが届く。その9割9分は迷惑なエロメールであり、「人妻と~」とか、「女子高生の~」等といったものばかりであり、その中から、オンライン予約のメールを見つけるのは至難の業である。何度も削除しそうになっている。
オンライン予約は、だいたい私が返信している。「御予約ありがとうございます」に始まり、きちんとした文章で書いている。当たり前であるが。
今迄はパソコンからしかオンライン予約は出来なかったが、この度、携帯からでも出来るようになったらしい。
アナログなピアッツァも、多少進歩しているようである。

2005年9月27日火曜日

私は本をまったくと言っていいほど読まない。
雑誌やマンガは人一倍見るが、ハードカバーの小説などは、「ノルウェイの森」くらいしか読んだ事がない。しかも今となっては、「ノルウェイの森」がどんな内容だったかさえも、さっぱり思い出せない程である。
周りの友人達が読んでいたので、流行に後れてはならぬと、友人に借りて読んでみたが、あれは上・下巻とあり、えらく長い。上巻を読んで嫌になり、下巻をまったく読まずに過ごしていた所、友人に「早く返せ」と言われ、下巻はさっとしか読んでいない記憶がある。
そんな本嫌いの私は、誕生日に一冊の本を貰った。その名も「ハッピーバースデー」という本である。
寝る前に何気に読んでみると、これがえらく感動した。「母と娘の絆」みたいな話なのだが、文章も読みやすくて、一気に全部読んだ。こういう分かり安いのでなければ、アホの私にはダメなのだ。高尚な文は理解不可能である。
感動ついでに「今度は本屋に行って自分で本を購入しよう」と、心に誓った。今だ、本屋には行っていないが。

2005年9月26日月曜日

タクシーのおやじ

先日タクシーに乗った際、びっくりするほどよく喋るおやじに遭遇した。
「初めて会うお客さんに、こんな事言うのも何なんだけど」と始まり、自分の身の上話をはなし始めた。
聞く所によると、おやじは23年結婚していた女房、子供に2年前出て行かれたらしい。家も家財も金も全部無くし、おやじは体一つで生きていた。そこへひょんな事から3つ年下の彼女が出来た。私が言うのも何だが、おやじは決してハンサムではない。
本人も「何故こんな俺なんか」と思っていたが、彼女はそれはそれは良くしてくれるらしい。しかも彼女はおやじに新車を買い与えてくれたというのだ。さすがに私も驚き、「おやじが彼女に買い与えた、という間違えでは・・」と、一語一句漏らさず話を聞いていたが、間違いはなかった。「5日に納車さ~」と、おやじはルンルンであった。
そうこうしてる内に、目的地に到着した。メーターを見ると、料金が出てないので、「はて?」と思っていると、おやじが「あ!」と叫び、「メーター倒すの忘れてた・・」と言った。
「浮かれてるからだよおやじ・・」と思っていると、「600円でいいよ・・」と言われ、思わぬ所で得をした。新車を買ったと思えば、安いもんであろう。

2005年9月23日金曜日

火事


実家の近所で火事があったらしい。
幸い怪我人はなかったそうだが、知人の家が火事になるというのは、やるせない気持ちである。

私が今のマンションに引っ越したばかりの時にも、火事騒動が起きた。
夜の1時過ぎ頃に、非常ベルがけたたましくなった。「そのうち収まるだろう」と、引き続き私はテレビを見ていたのだが、一向に収まる気配がない。仕方なしに自分で管理会社に電話をし、「非常ベルが止まらない」と言うと、「多分誤作動だと思います、臭いとか煙とかって無いですよね?」と言われ、はっとした。
あわてて窓を開け、ベランダに出てみると、物凄い異臭がし、下の階の方から煙がもくもくと上がっていた。
「終わった・・」と思い、慌てて貴重品を持ち、逃げようと思った。引越しと同時に新しく買ったパソコンを、最後まで持っていくかどうか迷ったが、周囲の人に「あいつはどこまでがめついのか」と思われるだろうと思い断念した。
エレベーターは封鎖され、非常階段で逃げた。他の人も続々と逃げていたが、状況は把握していない様であったので、「火事だ、火事だ」と、私がでかい声で言ってやった。
しかし火事だと自分で騒ぎながら、119に電話していない事に気付き、またもや自ら電話した。
消防車が何台も到着し、消防隊員の人に「通報した人は誰ですか?」と言われたので、また私がしゃしゃり出て行く事になった。状況を説明すると、消防隊員の人達は階段を駆け上がって行った。
するとあっさり戻って来て、「皆さん大丈夫です。部屋に戻っていいですよ」と言われた。「原因はなんだったんですか?」と尋ねると、「鍋を焦がしたそうです」と言われた。鍋を火にかけたまま、うたた寝をしてしまい、部屋中煙だらけになったので、ドアを開けたら非常ベルがなったというのだ。
その当事者は部屋から一歩も出てこなかった。そりゃそうであろう。そして、消防に通報をした私も何となく気まずい感じであり、心底「パソコンを持って逃げなくて良かった」とも思った。
部屋に戻ると消防の人が尋ねてきた。「今回の通報、誠にありがとうございます。今後も何かありましたら迅速に通報願います」と言われ、少々自信を取り戻した。「そうだそうだ、何かあってからでは遅いのだ」と自分に言い聞かせ、床に就いた。

翌日、玄関に一通の手紙があった。開けて見ると、「お鍋を焦がしてごめんなさい」と、物凄く汚い字で書かれ、ビール券が数枚入っていた。

2005年9月21日水曜日

伊藤みどり

ヤスと話しをしていたら、あまりにも分からず屋な事を言うので、尻で攻撃してやった。
それがどことなく、フィギュアスケートの後ろ向きで滑る様な格好であったので、「ミキティー、ミキティー」と言ってやると、ひっくり返って笑っていた。
これは使えると思い、夕方、コマツが出勤して来た時もやってやると、これまたひっくり返って笑っていた。
すると、どこからか「伊藤みどり」と聞こえてきた。案の定ナカイである。確かにミキティーよりは、伊藤みどりのでかい尻に近いのは確かである。
そういえば友人も、紀ノ宮様の結婚が決まった時、「あと売れ残ってんの、オマエと伊藤みどりだけだ」と、朝一でメールが来ていた。
伊藤みどりとは、切っても切れぬ仲である。

2005年9月18日日曜日

発注


家に帰り、「さあ寝よう」と思った瞬間に、明日の発注をしていない事に気付き、青ざめた。
発注はいつもファックスで送っている。私の家にファックスはないので、夜の2時過ぎに店に行く羽目になってしまった。
家から駐車場まで、少々距離があるので小走りで行った。酒を飲んだ時は、何も考えずふらふらと歩いてその辺を歩けるが、酒が入っていないとなると、急に警戒心が強くなる。
夜中であるのに、自転車に乗った人や、後ろから歩いてくる人がちらほら居て、「通り魔か痴漢かもしれない」と、一人で勝手に盛り上がっていた。向こうにしてみれば、私も十分怪しいはずであるが。
店に着き、ファックスを送り終わると、ほっとして腹が減った。帰りにコンビニに寄り、弁当を買って帰ってきてしまい、また自己嫌悪の一日であった。

2005年9月16日金曜日

秋刀魚


初めてイタリア料理を食べに行ったのは、大学生の時だった。夜に食事に行くのは、焼鳥屋か居酒屋だった私にとって、洒落たイタリア料理店は物凄く新鮮で楽しかった。
適当に色々頼んだ所、店員さんが、「パスタを2品頼まれてますが、同じトマトソース味なので、よければ違うのになさいますか?」と言った。
私は連れと、「おおお、なるほど」と頷き、そういう事であれば変えようと、何か違う味にしたのを覚えている。いつも行っていた居酒屋の親父は、ザンギとチキンカツを頼んでも何も言わなかったが、イタリア料理ってのは気が利くなと思った。
そこで「いわしのマリネ」を前菜で食べた。それにはバケットも付いていて、「パンに乗せて食べても美味しいですよ」と店員さんに言われ、食べてみると非常に美味しかった。
次にまたその店に行った時、「いわしのマリネ」を頼もうと思ったら、メニューに載っていなかった。店員さんに聞くと、人気がないからメニューから外したと言っていて、物凄くがっかりしたものだ。
そんな事を思い出し、秋が来ると、いわしではないが、秋刀魚を使い、マリネにし、ガーリックトーストに乗せて「さんまのマリネのブルスケッタ」として出している。私の大好きな一品である。
ナカイも好きであるらしく、「家で作れるかな?」というので、「オマエには無理だ」と言ってやり「材料代と手間賃込みで5千円で、秋刀魚1ケース分作ってやるか」と冗談で言った所、飛び上がって喜んでいたので、慌てて「やる訳ないじゃん」と訂正した。するとがっくり肩を落とし、「ヤス~」とヤスに頼みに行っていた。
面倒臭い事に巻き込まれたヤスは、「作り方知らない」と嘘をついていた。

2005年9月14日水曜日

卒業論文

アルバイトのマリコは大学4年生で、只今卒業論文を執筆中である。
この間、半分程書いた論文が、パソコンがおかしくなり全部消えてしまったと言っていた。最近では、論文の事を考えるだけで嫌になり、好物のスイカ以外の物は喉を通らないそうである。重症である。マリコは真面目だからそうなるのだ。私などは酷かった。
私は大学時代、居酒屋でアルバイトをしていた。そこに、他の大学の先生であったが、私の専攻しているゼミを分野とする先生がたまに来ていた。
「卒論なんてどうすりゃいいのか分からない」と、その先生と話していると、「僕がアドバイスしてあげるから、研究室においで」と言われた。
一瞬、いかがわしい事を想像したが、その時の私は、人生の中で一番太っていた時だったので、「そんな事はあり得ない」と、早速先生の研究室へ赴いた。
一応テーマだけは、前もって先生に告げていたのだが、先生はそれを元に全て構想を練ってくれていた。「これはすごい」と私が驚いていると、先生は「こんな感じでやって行こう」と言って、また後日来るように言った。
後日訪ねると、先生が手書きで書いてくれ、第一章くらいまで完成していた。「これを自分でワープロで打ってね」と言われ、また驚いた。
「自分で考えなくていいのか?いいのだ!」と、一気に卒論が出来た気分になり気楽になった。それからは、2,3日に1回先生を訪ね、原稿を貰い、ワープロを打つという日が続いた。30枚くらいになった所で、「そろそろ終盤だな」と思っていたのだが、先生の原稿は終わる所を知らなかった。60枚くらいで、ただワープロを打つだけだが辛くなってきた。「いったい何枚書くのか」と思っていたら、ついに原稿は100枚まで行き、やっと終わった。
何も考えていないのに、疲れたのを覚えている。そして私は、その年の論文の賞を取った。当たり前である。本来ならば、かなり誇れる事なので、自慢して歩きたい所であるが、からくりがばれると困るので、あまり言わないでおいている。

頑張っているマリコを見ていると心が痛む。何事も一生懸命に取り組むのが一番である。

2005年9月13日火曜日

ロシア料理

初めてロシア料理を食べに行った。
思いつくのは、ピロシキとボルシチのみであり、あとは料理とは関係ないが、あの人形の中から人形が次々と出てくるやつである。
あれの名前はなんだったであろう。思い出せずに、友人と色々言い合っていたが、何一つピンと来なかった。しまいには私が「ロッククライミングみたいな、韻の踏み方だったと思う」と言うと、物凄い罵声を浴びせられた。
ピロシキとボルシチは絶対食べようと思い、あとはロシア語っぽい名前の付いている料理を数品頼んだ。
全ての料理が本当に美味しかった。何と言うか、味がしっかり決まっているのである。名前は忘れてしまったが、水餃子の様な物が凄く美味しかった。
料理が旨いので、調子に乗ってウォッカを飲む事にした。メニューを見ていると、その中に90度くらいのウォッカがあり、「これを飲む人が居るのだろうか」と思っていたら、隣のおっさんがきゃーきゃー言いながら飲んでいた。おっさんは、店員さんに、「本当に火が付くから、そういう事は止めて下さいね」みたいに言われていたのに、「つけてみるか、つけてみるか」と、言ってはまた騒ぎ、ご満悦の様子であった。
酒の席で楽しいのは良い事だと思うが、私も傍から見ればあんな感じかと思うと、身の引き締まる思いであった。

なので、昨日はスマートに飲んで帰って来れた。単に前日の「ノムラ祭り」の飲み過ぎが祟っただけであるが。

2005年9月12日月曜日

Grazzie mille!!

昨日は私の誕生日であった。
「2005ノムラ祭り」を開き、忙しい時間の中、色々な人に集まってもらい、本当に楽しい一時を過ごした。しかもプレゼントまで貰い。
お店でも、いつもテニスを教えてもらうお客様にボールを頂いた。社長からはケーキを頂き、友人からも似顔絵のケーキを頂き、花束もワインもたくさん貰った。他にもたくさんの物を色々な方から頂いた。本当に有難う!!
ついでに楽しい時間まで提供してもらい、お礼のしようがない。
それなのに私は、ただ酔っ払って帰ってきただけである。
お世話になった方々、本当に本当に有難うございました!!

2005年9月10日土曜日

トビー

只今店には、またもや調理学校から実習生が来ている。
ナカイはその男の子を見るなり、「あの子トビーに似てるよね」と言った。
「トビー?」と聞くと、映画のハリーポッター2に出ていて「トビーのばか、トビーのばか」とか「トビーのお喋り」等と言う奴だと言って、真似までしてくれたので思い出した。
しかし、あれは化け物の様なものなので、そんな風に言ってはかわいそうだと思っていたら、気付けば全員がその男の子を「トビー」と呼んでいた。
「トビーなんて呼んだらかわいそうだろ、なあトビー」と、気付けば私もトビーと呼んでいた。本人も、トビーと呼ばれても気にしないと言っていたが、彼はハリーポッターを見ていないので、トビーの実態は知らない。

2005年9月9日金曜日

間違い

先日また飲み過ぎ、ふらふらと帰って来てエレベーターに乗り、家に入ろうと思ったら鍵が開かない。
おかしいと思い、何度もやったが鍵は入るが回らない。その瞬間にはっとした。私の部屋は8階であるが、そこは6階であったのだ。
慌ててエレベーターに乗ろうと思い、ボタンを連打した。深夜に鍵をがちゃがちゃされた6階の住人が、警察を呼ばないとは限らない。
今度の日曜は33歳の誕生日である。こんな事をしでかしてる場合ではない。

2005年9月7日水曜日

スイカ


実家から、「大きなスイカがあるから取りにおいで」と言われ、取りに行った。どうでもいいが、携帯に実家からの着信があると、「誰か死んだか・・」と思ってしまうので、あまりちょいちょいかけないで欲しい。
店で食べようと思い、切り分けていた所、マリコが「私スイカ大好きなんですよ・・」と言い出した。しかも、どの程度好きかと言えば、無人島に一つだけ好きな食べ物を持って行けるとしたら、スイカを持って行くという程好きらしい。
それほどまでのスイカ好きを初めて見た。ナカイもなかなかのスイカ好きであり、赤い身を残してる食べ方の者が居ると、「もったいない」と怒るほどであるが、無人島には持って行かないであろう。
私はスイカは食べるが、あまり好きではなく、「スイカを食べるならキュウリを食べたほうが良い」といつも言っている。なので、ますますマリコの様な、根っからのスイカ好きにはびっくりする。
マリコはさっそくスイカ好きを発揮し、今迄のマリコの食事を量からは考えられない程の量のスイカを食べ続け、「お腹がたぷんたぷんしてきた・・」と、一旦中断したものの、また何時間か後に食べていた。

「冬は食べれなくて残念・・」と、マリコはつぶやいていた。

2005年9月6日火曜日

ケーキ


ヤスの御両親が食事に来てくださり、お土産にケーキを頂いた。
ちょうど私は前日に「ケーキが食べたい食べたい」と、夕方に大騒ぎをし、コマツが私を黙らす為に、東急ストアでポッキーやら、エリーゼやら、お菓子を買って来てくれたのだが、「食いたいのはお菓子ではなくケーキだ」と、せっかく買ってきてくれたのに文句を言っていた所であった。
ケーキの箱の紙をバリバリと、外国人形式で破いていると、シラキが「ノ、ノムラさん・・」とびっくりしていた。
黒ゴマのババロアに、抹茶のムース、黒蜜のゼリーが三位一体となったケーキがあり、それを頂いたのだが、非常に美味しかった。2個も食べてしまった。

いつも気を使って頂き、申し訳ありません。ありがとうございました。

2005年9月3日土曜日

ナカイの年齢

ナカイは見た目ももちろんだが、中身も相当おっさんである。
昔のアニメの話しをしていても、私より古いアニメの話しをするし、鼻歌を歌っているかと思えば吉田拓郎である。
何かの拍子に、ドラムの話しが出た時も、すかさず石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」を歌っていた。裕ちゃんの若かりし頃の歌を歌う20代が居るだろうか。「ブランデーグラス」くらいなら、私も歌えるが、「嵐を呼ぶ男」は無理である。
多分、ナカイは団塊の世代生まれである。

2005年9月1日木曜日

オファー


高校時代からの友人が居る。
今でも毎日トランシーバーの様にメールをしあい、くだらない事ばかり言い合っている。
彼女は学生時代、休み時間になると、ありとあらゆるクラスの黒板に、私が右手に棍棒をかざし、左手に死んだウサギの耳を持った絵を、無差別に書いて回っていた。それを私が追っかけ回し、消して歩いていたのだ。小学校時代ではない、高校の話しである。
その上私達は、傍若無人なので、学年の可愛い女子の友達はおらず、まともに話してくれるのは担任の先生くらいであった。
しかし、稀に物好きのクラスメイトが仲良くしてくれた。可愛い女子の友達は少ないので、物凄く貴重であった。
そして先日、その可愛こちゃんが結婚する事になったので、二次会からアホの方の友人と参加してきた。
「めでたい席だから、下品な事だけはやめよう」と、二人で固く誓ったのだが、誓いも空しく、開始1時間程でいつもの有り様であった。しかもよく見てみると、高校時代の同級生がわんさか来ていた。
後日、「またやっちまったな」と、反省会はするものの、本当に反省している訳ではない私達に、ニュースが飛び込んで来た。
何と、その席で初めて話した高校時代の同級生が、「楽しかったから、私の結婚式の二次会にも来て」というものである。
私達は「ついに営業のオファーが来たか・・」と感慨深くなった。オファーを受けるからには、それなりの事をして返したい。それを考えると、今から武者震いがする。